[p]東京都大田区出身。エイプリル・ミュージック(後に「CSアーティスツ」に名称変更)→SMAエンタテインメント所属。[/p] [p]血液型はB型。大田区立大森第四中学校、中延学園高等学校(現・朋優学院高等学校)卒業。家族構成は父、母(准看護師)、姉、弟[要出典]。満里奈という名前は、ヨット好きだった父がマリーナからとって命名したという[要出典]。[/p] [p]1984年のミス・セブンティーンコンテスト(応募総数コンテスト史上最高18万325人)に応募し、関東地区予選にてCBSソニーにスカウトされ[/p] [p]る。その後、1986年3月に『夕やけニャンニャン』のオーディション「ザ・スカウトアイドルを探せ」に参加。月曜日の登場時から存在感を示し、金曜日には高得点(120点。合格は100点以上)で合格を果たした。その際、とんねるずに「おニャン子はお前のものだ!!持ってけ!!」とまで言わしめた(オーディション中盤で「もう満里奈で今週は決まりだ」と言っていた)。1986年3月27日におニャン子クラブ会員番号36番としてデビュー(ただし、当時行われていたコンサートツアーには時間的な余裕が無かったこともあり不参加)。デビュー早々より人気を得て、中期から後期にかけてのおニャン子クラブの主力メンバーとなった。また、とんねるず(と秋元康)にかわいがられ、彼らの妹分的な位置づけとなった。おニャン子クラブ時代は同じ渡辺姓の渡辺美奈代とともに「W渡辺」「ワタナベズ」と呼ばれた。[/p] [p]おニャン子クラブ在籍中の1986年10月に発売されたソロデビュー曲「深呼吸して」は、当時のオリコン初登場1位最年少記録(15歳11ヶ月)であり、2001年3月27日、当時モーニング娘。だった後藤真希のデビュー曲「愛のバカやろう」(15歳6ヶ月)まで、約15年間この記録は破られなかった。[/p] [p]おニャン子クラブ解散後も歌手としてアイドル番組やバラエティーなどに出演。当初はアイドルとして、事務所の意向に沿った衣装や楽曲で出演していたが、途中から独自の路線で曲や衣装なども変わっていき、渋谷系の代表格であったフリッパーズ・ギターの楽曲を歌うなど、他のアイドルとはまったく別の方向性で歌手活動を展開する。その後、とんねるずと秋元康の縁から『とんねるずのみなさんのおかげです』にレギュラー出演、お笑いの資質も見出され芸歴に幅が拡がり、後の司会業をはじめとする様々な番組の出演への道が開けた。[/p] [p]その頃(1989年頃)から本人の意向により、おニャン子メンバーであったことを積極的に表に出さないようにもなる。[/p] [p]その後、バラエティ番組において、タモリ、ビートたけし、みのもんた、とんねるず、古舘伊知郎といった強烈な個性の持ち主たちと堂々と渡り合う。[/p] [p]2000年代からはファッション、旅行、健康など彼女の趣味・経験による書籍を多く出版している。特に台湾通として知られており、台湾省政府観光局のイメージキャラクターにも選ばれた。また、現在はピラティス・メソッド(これに関しても著書『ピラティス道』を上梓、後にDVDも発売)の実践でシャープな体型を維持している。[/p] [p]2005年4月5日、テレビ朝日の番組『銭形金太郎』で、共演している名倉との結婚を発表した。2005年5月5日に婚姻届を提出し、10月23日に東京プリンスホテルにて披露宴を行った。[/p] [p]2007年12月9日、男児を出産。[/p] [p]結婚、出産後は、2008年から雑誌『LEE』における手芸に関する連載、2009年よりオーガニック綿を用いた子供服中心のブランド「gris-gris」の立ち上げなどの活動も行っている。またホメオパシーにも傾倒するようになっており、ホメオパシージャパンの由井寅子の講演に参加するなどしている。[/p] [p]2010年1月4日、第2子の妊娠を自身のブログで発表。6月24日、女児を出産。[/p]
オリジナルアルバム
ベストアルバム
[p]※いずれも当初VHSやLDで発売されたが、後にDVD化された。[/p]
[p]※既発表のオリジナルアルバム・ビデオに加え、未商品化の音源・映像も収めたBOXセット。[/p]
[p]※NHK『みんなのうた』で1990年6月・7月に放送。『MARINAWATANABEALLINONE』に収録された。[/p]
[p]他多数[/p]
『三宅裕司のヤングパラダイス』内の月-木、約10分の帯番組を生稲晃子とコンビで担当、おニャン子クラブが解散した10月以降、「おちゃめな夜だよいたずらレモン」と番組名変更。生稲が抜け、真弓倫子、仁藤優子が参加。
『お遊びジョーズ』内の月-金22時10分頃から約10分の帯番組、初期は小沢なつきと、後期は今井麻起子とコンビで担当。味の素一社提供。
[p]※歌手活動による作品は省略。[/p]